9日、家内と近所の友

9日、家内と近所の友達3人で、九重連峰の扇ヶ鼻に登った。
約1時間40分かけて赤川コースを登る。中腹にはドウダン
ツツジが可憐な花を咲かせていた。山頂付近はミヤマキリシマ
がほぼ満開であった。この時期が一番の見頃とあって、平日に
もかかわらず多くの登山者が山頂を目指していた。
泊まりは湯布院温泉。大正14年築のロマン漂う旅館で汗を
流したあと、豊後牛の料理を食べる。夕食後、近くの清流で
ホタルの乱舞を見たり、夜神楽を観賞したりして過した。
楽しい一日であった。
ミヤマキリシマ

麦秋

5月の中旬。筑紫野平野をサイクリングしていたら、麦秋の
風景に出会った。田んぼ一面が黄金色である。日を重ねる毎に
色が濃くなっていく。
数日経てば一斉に収穫となる。それが終われば慌しく田植えの
準備となる。

静と動

師走の福岡を駆け抜ける福岡国際マラソンと美の巨人モールス・ユトリロ
展を見に行く。
マラソンは発着地となる平和台陸上競技場で選手のスタートを見送り、
死闘が展開される39キロ地点で応援した。選手をを身近に見るのは
18年ぶり。そのスピード感はテレビで観るより迫力がある。日本人では
佐藤選手が3位と健闘し、タイムもよく北京五輪の有力候補となる。
ユトリロ展は福岡県立美術館で開催。ユトリノ展は名高い「白の時代」から
晩年の「色彩の時代」までの作品を展示。教会、小路などどこにでもある
ような風景画である。「古きよきパリ」を見事に描写した作品である。
恵まれない生い立ちを微塵も感じさせないその作品に親しみを感じた。

三大からくり人形

約180年前に作られた精巧なゼンマイ仕掛けのからくり人形。
久留米が生んだ「東洋のエジソン」こと田中久重が20歳代に作った
弓曳き童子、茶酌娘、文字書き人形の三大傑作を見に行った。
人形は今でも動くから驚きだ。
弓曳き童子は矢を取って的に射る。
茶酌娘は湯呑みを人前に運び、終われば向きを変えて帰る。
文字書き人形は筆を硯に付け正面の紙に書き、書き終えたのを
人に見せる。この人形は寿を始め4文字まで書き分けられる。
からくりの動力は鯨のひげを使う。歯車とカムで微妙な動きをつくり
糸を伝わって関節を動かすが、動くだけでなく顔が指先の方を追って
人間の動作と変わらない。見せることを考えた傑作である。
現代、ロボットが我が国のあらゆる産業を支えているが、その源泉は
江戸時代にあるようだ。

西海を訪ねて

兄達と2年ぶりの旅行。訪ねたのは九州の西方、佐世保と平戸。
佐世保では海上自衛隊佐世保史料館の見学と九十九島めぐり。昼は
特性の佐世保バーガーを食べる。九十九島の一つ黒島は半世紀前に
兄が兵役で過した思い出の地。島影を遊覧船から感慨深く眺めていた。
平戸ではヒラメの活き造りが夕食に出た。旬のサカナは美味しい。
松浦資料博物館やザビエル教会を見物した。資料館には1550年から
約90年間、西欧諸国と交易したときの品々が展示され、当時の文化を
知ることが出来た。
天気に恵まれ楽しい旅であった。

ヒガンバナ

稲刈りが真っ最中というのに、ヒガンバナが咲いている。
例年なら、秋のお彼岸が花の見頃であるが、今年は大幅
な遅れの開花である。
夏の猛暑は9月に入っても続きましたので、草花にも何らかの
影響がでたのでしょうか。長く観賞できるので楽しみですが、
自生花の見頃が遅れるのは違和感があります。

赤坂友達の会

田舎の友達の会が瀬高町の可志久であり、これに出席した。
集まったのは小学校を昭和30年から37年に卒業した男性
のみの13人。実に半世紀ぶりに会った者も。半数は還暦を
過ぎていて容姿は変わっていても話し方で見当がつく。
多感な少年時代のことをつい昨日のことのように思い出した。
当時の遊びを始め友達の消息、家族の動向など話は尽きない。
ゼェネレーション・ギャップを感じさせない楽しい会であった。

熊野三山詣で

旧友達と紀伊半島の熊野三山と伊勢神宮を訪ねた。
当初、熊野古道をも歩く予定だったが、残暑厳しかった
ことから健康に気遣い、車道から垣間見るに留めた。
熊野本宮大社は人生出発の地とあり小生も改めて誓った。
速玉大社には神木の梛が植えられていた。
泊まりは那智勝浦で、温泉に浸ったあと雑談やカラオケ
で盛り上がった。
翌日、伊勢神宮を参詣した。厳粛な気持ちでお参りした。
6年式後に式年遷宮が斉行される。

第348回筑後川花火大会

5日、筑紫次郎と呼ばれる筑後川で花火大会が催しされた。
西日本地区最大級の大会で、打ち上げられ花火は1万8千発。
尺玉が打ち上げられるたびに夜空に大輪が咲いた。
暑気払いの一日となった。

四国の高峰2座登山

四国山地を代表する石鎚山と剣山へ登った。
7月26日のフェリーで別府から四国・三崎へ渡り
四国を横断し、夜中に剣山の登山口・見ノ越へ着く。
27日の早朝に剣山に登り、下山後、次の石鎚山の
土小屋へ向う。石鎚スカイラインの閉門の午後8時
に着かったので麓で仮眠。明朝の7時開門を待って
登山口へ。登山は往復4時間半程度であったが、平地
で30度を越す猛暑の中、標高約2千mの涼風を受けた
山行であった。