以前のkagata.net記事

ツヨシさんの、旧kagata.netの記事をこちらに持ってきました。


2003.04.21 Monday 18:35:40 高菜漬けに挑戦
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家内と親しくつき合っている奥さんから4月初旬、高菜漬けをいただいた。ご主人が
1年前に漬け込んだもので、風味は1年経った今でも変わらない。
小生の故郷筑後地方は高菜の産地であり、春先には畑が高菜一色に染まった。遠い
昔、お袋が漬けた高菜の味を思いだし、無性に漬けたくなった。思い立ったが吉日と
ばかり、野菜と食塩、それに漬物容器など必要なものを慌てて買い求めた。正しく泥
縄式である。何しろ高菜が市場に出回るのは2週間もない。油断をすれば店頭から消
える。直ぐに隣町のJA販売所に車を走らせ3把買ってきた。買ったのはよいが漬け
方が分らない。何人かの人に聞いたが同じ説明ではない。話しを集約するに、キー
ワードは塩加減といことが分った。しかし、肝心の野菜の量に対して塩の分量が分ら
ない。所謂「塩梅」である。ある指南書には8%程度の濃度がよいとあり、ある人は高
菜が白くなるよう塩を振り掛けると言う。各々の好みに合った塩加減であろうが、漬
け込む当方としては選択に惑う。わが家に体重計のようなハカリがあれば野菜や塩を
計量できるが、体重計さえない。結局、塩は目分量となった。アナログ人間が行なう
昔ながらの”勘”に頼る漬け方である。重石は重いほどよいと聞いたので、以前使った
梅漬け用重石に、更に扁平石を重ね置いた。3日経って容器の蓋を開けたところ、中
蓋の上まで水が上がっている。第一段階の「荒漬け」は成功した。次は「本漬け」で
ある。水を切り塩をぱらぱら振り掛け、更に唐辛子を加えて再び重石を載せた。隔日
毎に蓋を取っては漬かり具合を確かめる。高菜漬け独特の香りが容器に漂う。食べご
ろは1ヶ月以降である。
2003.04.10 Thursday 21:50:30 セピア色の写真を手掛りに湯平温泉へ
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今年の正月、家内の実家へ新年の挨拶に行った折り、ことのほか昔話で盛り上がっ
た。義弟達はともに五十歳前後であり、否応なく年齢を自覚する年代になり懐古の情
が出てきたのであろう。義弟がセピア色した42年前頃の懐かしい写真を持ってき
た。数枚の写真は、家内の親子が大分県の湯平温泉に旅行した際の風景である。家内
が多感な中学生の頃である。誰かがこの写真の通りの旅行をしようと突飛な提案をし
たところ、タイム・スリップする面白い企画に全員が賛同。旅行日は後日、皆の意見
を聞いて4月の第1土曜日と決まった。
当時の写真と人の記憶を頼りに忠実に再現するこだわり旅行となった。車1台に姉弟
三組の夫婦が乗り込み、大分県湯布院町の秘湯・湯平温泉へと向かった。
湯平温泉は九州の軽井沢と呼ばれる湯布院温泉とは対照的に、湯治場として親しまれ
ている鄙びた温泉地である。しかし、約300年前に造られた坂道の石畳には歴史が
刻まれ、放浪の俳人・種田山頭火が絶賛した温泉と人情味があるところ。この温泉を
紹介したパンプには「飲んでも良し、入浴しても良し」とある。21世紀は「癒し」
の世紀と言われているが、湯平温泉はまさに新世紀にぴったりの癒しの桃源郷である。
JR久大線の湯平駅を訪ねた。昭和30年代は車も少なく湯治客の殆どは列車で来て
いたと想像される。駅から温泉地までは約3キロ強の道程である。
宿は創業百年を越す老舗旅館「新屋本家」。建物は露天風呂を増築しているもの、部
屋は昔のままの状態と仲居さんの弁。確かに「うぐいす張り」の廊下らしきところも
ある。2階の部屋に案内されたが、なんと12畳の部屋が2つ並ぶ大部屋である。し
かも、温泉街が真下に眺められ大名気分となる。持参した写真を女将さんに見せたと
ころ、山や川それに石橋などの自然環境は元より、建物や店の看板に至るまで写真と
合致する点が多々あり、この旅館に間違いないと太鼓判を押された。改めて写真の威
力を感じた。しかしながら、人の記憶も捨てたものでもない。家族旅行が珍しい時
代、多感な子供には強力な印象が残ったのであろう。話しをしている内に当時の記憶
が甦り、駅の近くのトンネル、石畳、川沿いを歩いたこと、神社があって暫く休んだ
ことを異口同音に言う。夏の暑い日に宿から駅まで歩き、途中で神社の境内で休憩し
たという。遥か40数年前の出来事を、つい昨日のように語っていた。記憶に残るの
は楽しいことより、寧ろ辛いことが多いのかなと思った。写真撮影も凝っている。昔
の写真を片手に持ち、誰々の横に誰が入ると細かい点を義弟が指示する。メガホンを
持たせば映画監督と間違えられる。幸いにも地形が変わっていなかったため、撮影場
所は直ぐに分ったので、人物の配置と背景を可能な限り当時と似た様に撮った。変わ
ったのは人物の年齢と、パートナーが増えたのみである。
湯平温泉は上述したように、今も昔しと変わらない風景である。時計の針が止まった
かのようだ。換言すれば、湯治場としての面影を今も持ち続けている。訪れる客はど
ちらかと言えば中高齢者が多いが、温泉情緒を味わいたいと家族づれや若い女性も
徐々に増えているそうだ。狭い温泉郷ながら造りの違う共同浴場が5ヶ所もある。こ
この人々は湯平地区をミユージアム化したいと、大きなグランドデザインを描いてい
る。未来構想に期待する反面、今の状態であってほしいと思いながら湯平を後にし
た。豊饒な源泉と人情を求めて再訪したい気分になった今回の旅であった。
わたしゃ湯平 とう治の帰り 肌にほんのり 湯の香り    -雨情- 
2003.02.01 Saturday 14:00:51 難所ガ滝登山
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いつも登る宝満山のすぐ近くにありながら、行く機会が少ない「難所ガ滝」という所
がある。この滝は厳冬期に数日だけ凍るので有名である。福岡地方では冬の風物詩で
あり、マスメディアでも紹介される。
愚妻が知人からアイゼンを譲り受けたのを機会に、予ねて希望していた凍結の難所ガ
滝を見に行く計画を立ていた。その夢が早めに実現した。屋根に残雪があり冷たさも
感じた1月30日、登山を実行した。2日前に福岡地方で大雪が降り滝見物の環境と
なったため。
難所ガ滝は福岡市の東部、宇美町から宝満山に登る中腹にある。いつもは雫が落ちて
いる屏風岩が聳えているいるようなもの。それが一旦風雪に晒されると、目測で高さ
20m、幅50mぐらいの岩面が真っ白に凍りつく。氷柱になった滝はお伽の国のお
城を連想させる。凍結の期間は短いが自然の素晴らしさを表現する。自然は人間の能
力を越えた最高の芸術家である。
訪れた多くの登山者も綺麗、素晴らしい、キツイのが吹っ飛んだ、などと口々に感嘆
の声をあげていた。この日は天気は曇りで、気温はマイナス4.5度であった。
氷の滝を脳裏に焼き付け、記念の写真を撮って下山した。この滝との再会は来年にな
るだろう。
2002.11.24 Sunday 18:28:10 故郷のまつり
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可憐なリンドウが咲き始めた9月下旬、故郷の友達と大分県の久住山に登った折り、
「山川こいこいまつり」が11月10日に中学校のグランドであるから参加するよう
にと、誘いを受けていたので出かけた。この祭りは秋の収穫祭を町民参加型として行
なわれるもの。広場にはステージが設けられ、町の唯一の伝統芸能「面浮立」が披露
された。集落の青年達が頭をすっぽり被さる面を着け、両手に棒をしっかりと握りな
がら鉦・太鼓の音にのって踊る姿は五穀豊饒を祝うかのようだ。集まった町民約20
00人が大きな拍手を送る。地方の伝統芸能が後継者不足などで廃れていく中、伝承
してもらいたいものだ。このほかには文化サークルによる創作手芸や絵画・書道の発
表、地場産品の紹介などがあっていた。また、集落毎に作った品を持ちより販売する
コーナもある。例えば川魚の甘露煮、ハギレを利用した創作人形、家庭菜園の花な
ど。何れの品も他の集落に負けないようにと工夫を凝らしてあった。
祭りの最大のイベントは「お牧山ハイキング」である。ハイキングは郡内最高峰のお
牧山(標高405m)に登るもので、距離は5km。参加者は1500人以上。老若
男女が仲間とお喋りしながら、黄色に実ったミカンを眺めて農道をゆっくりと登る。
途中、地元の人々が湯茶の接待やミカン、キウイの差し入れをしてくれる。休憩を兼
ねての湯茶の一杯は格別美味しい。1時間少々で山頂へ着いた。山頂広場では地元の
人々の手作り料理「だんご汁」が提供され、青竹に清酒を入れて暖められた「かっぽ
酒」はなかなかの好評であった。食事をとりながら眼下に広がる有明海、その海上に
浮かぶ雲仙岳を眺めて一時を過ごした。ほどよい汗と酒酔い気分で参加して良かった
と実感した。小生自身、故郷言葉と田舎料理を体の髄までしみ込ませながら、旧交を
暖めたり情報交換をした。
「ふるさとの山に向かいて言うことなし ふるさとの山はありがたきかな」の詩をふ
と思い出した。
晩秋の楽しい一日であった。
2002.10.18 Friday 22:34:20 夫婦の趣味
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 日々の生活の中で、一つの趣味でもよいから一生涯続けられるのは、充実した人生
の過ごし方だと思う。趣味は専門家としてではなく、楽しみとしてする事柄である。
一番好きなことに利害関係を考えずに没頭できるからである。
 小生の趣味は登山である。山登りを始めるきっかけは、全く偶然の出逢いからであ
る。それは1965年頃、近所の人から九州の屋根と言われる久住登山に誘われた時
である。九重連山の泰然とした山容に感動し、また自然と一体となれた感覚が忘れ難
く病み付きとなる。この貴重な体験を契機に自然と山に足が向くようになった。それ
以降は1月に1回以上のペースで、北部九州の山々に登った。九州の山々は比較的に
低いため、ほとんどが単独登山である。
 ところが1990年、従来の登山スタイルが一変した。一念発起し近郊の宝満山
(標高830m)に登り始めるたのである。動機は前年の忘年会の宴席で、宝満山へ
年間50回以上を目指し登ることを公言したからである。爾来、11年半の年月を経
て、山伏の千日回峰行と同じ宝満登山1千回を成し遂げたのである。前者は修行とい
う艱難辛苦で成し遂げるのに対し、後者は楽しさの中での達成という違いはあるもの
の、その達成感だけは多分共通しているのではないかと勝手に推測している。20世
紀から21世紀に懸けての大きなチャレンジであった。この宝満登山
1千回達成については、改めて別稿にて紹介する。
 一方、愚妻の趣味といえば古典芸能の一つ詩吟である。周知の通り、詩吟は漢語を
訓み下したものに一種の節をつけ吟詠するもので、ほかに剣舞、詩舞などがある。吟
詠は日本精神をうたいあげることにあり、その精神と伝統を守り続ける指導者によっ
て、現在まで綿々と継承されている。
 愚妻は1994年(平成6年)に詩吟を習い始めた。子育てが終りに近づいたこ
ろ、家庭生活にメリハリをつけることと健康維持を図る目的で始めたものである。
地区の詩吟サークルに入会し毎週1回、練習に出かける。練習を始めて数年経ったあ
と、年に1~2回吟詠コンクールに出場することになった。ところが、何回出場して
も入賞しない。後から習い始めた人が先に受賞する始末である。原因は本人も分って
いる。大勢の前に出ると上がる性分にある。入賞するには発声練習より寧ろ舞台経験
を積むことにある。”石の上にも3年”という諺がある。この道を究めるには3年は
短いまでも、10年続けて一回でもよいから入賞したいとの願望はある。転機が訪れ
たのは、ある吟詠コンクールでテスト吟に指名された時である。そのテスト吟で恥と
汗を思いきり掻いたところ、不思議と心が落ち着き自然体で声が出るようになったの
である。ついに、地区コンクール予選会で念願の入賞を射止めたのである。苦節8年
目にしての成就である。受賞式では唯一感涙したそうである。珠玉の涙だったに違い
ない。帰宅したときの顔面は至福で満ち溢れていた。
 入賞におまけが付いた。今年11月10日、日本武道館で催される第35回全国吟
剣詩舞全国大会へ団体の一員として出場することになった。合同吟の末席で出場する
が喜ばしいことである。末席を汚さないよう練習には以前にも増して熱が入ってい
る。愚妻の全国大会での健闘を祈るとともに、この趣味を末長く続けて貰いたいと期
待している。
2002.08.10 Saturday 21:49:27
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旧盆が近まった本日、家族7名全員が揃いました。
家族が全員揃うのは正月と盆の年2回です。
この時は夜遅まで雑談しますが、眠くなった者から
一人また一人と欠けて行き、最後に残るのはバイタリテー
のある息子2人です。
息子達は仕事や音楽等の話しをしています。
事欠かさない程話題があるなと感心しています。
2002.08.10 Saturday 19:14:40
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初めまして。
加賀田家の大黒柱です。
名前は「剛」です。戦前、戦争に勝つために付けたと私の父から聞きました。
家族は妻と子供2人、子供の嫁とその子2人の7人です。
しかし子供達は独立しています。
これから如何にして生活の時間を創るかを思案中です。